神戸発祥は何がある?意外な「日本初」が多い神戸市の【ハイカラ文化5選】とは

神戸発祥は何がある?意外な「日本初」が多い神戸市の【ハイカラ文化5選】とは

目次

ラムネ、紅茶、洋菓子、西洋家具、映画館など、私たちの生活の中に馴染んでいる食べ物や文化の中で、外国から初めて神戸に伝わって日本全国に広がっていたモノは少なくありません。

神戸発祥の代表的なモノには何があるのでしょうか?今回の記事では、神戸のハイカラ文化について解説。神戸の誇るハイカラ文化のあれこれをご紹介します!

  

神戸にハイカラ文化が誕生した歴史背景

神戸にハイカラ文化が誕生した歴史背景

神戸と聞くと、「おしゃれで洗練された街」というイメージを持たれる方が多いですよね。

神戸には異国情緒あふれる街並みが多く残っており、おしゃれなレストランやカフェ、センスの良い雑貨屋などが多く立ち並んでいます。

そんなイメージから神戸は「ハイカラ文化のある街」と呼ばれていますが、神戸にはどうしてハイカラ文化が誕生したのでしょうか?

 

国際貿易港としての神戸港の開港

神戸は、北の六甲山と南の和田岬が偏西風や北風を遮り、海が穏やかなことから、古くから海上交通の拠点として栄えていました。

また、湾岸線の水深が深く、潮の干満の差が少ないなどの地理的な特徴からも、天然の良港として知られていました。

1858年(安政5年)に日米修好通商条約が締結された際に、神戸は函館・横浜・長崎・新潟と並ぶ開港場のひとつに選ばれました。

1868年(慶応3年)1月1日に神戸港が開港。以来、日本を代表する国際貿易港として、日本の産業や経済の発展を支えています。

 

外国人居留地に住む外国人から西洋の文化が広まる

神戸港の開港をきっかけに、神戸北野異人館や北野異人館街が開発され、多くの外国人が神戸に住むようになりました。

明治時代初期は、西洋文化の流入により急激に近代化が進んだ文明開化の時代ですが、神戸にはいち早く西欧のさまざまな文化が伝わりました。

 

外国文化と日本文化が融合し独自のハイカラ文化が誕生

明治初期の人たちにとって西洋から持ち込まれた食べ物や文化は、何もかもが物珍しい「ハイカラ」なものばかり。ハイカラの語源は「ハイカラー(高い丈の襟)」で、西洋風の生活様式やその様式を好む人々に対して使われていた言葉です。

神戸の人たちは外国から持ち込まれたものを生活の中に取り入れ、時には日本人好みにアレンジするなどして、神戸特有の「ハイカラ文化」が誕生したのです。

ここからは、「神戸のハイカラ文化」を代表する産業やアイテムを紹介します!

 

神戸のハイカラ文化①ファッション産業

神戸のハイカラ文化①ファッション産業

明治初期の時代、庶民たちの間ではまだまだ和装が広く着用されていましたが、上流階級の男性たちが洋装をいち早く取り入れました。

日本が近代化国家を目指したこの時代、海外の要人と会う機会も多い上流階級の男性たちの間では、洋装が推進されていたのです。

神戸でも外国人の身に付ける洋服や靴などに強く影響を受け、神戸のファッション産業が発展していきました。

 

神戸洋服

神戸のファッション産業は、神戸港開港の翌年、1869年にイギリス人のカペルが外国人居留地に「洋服店カペル」を開業したことから始まりました。

カペルに弟子入りした日本人初のテーラー・柴田音吉も、1883年(明治16年)に元町で柴田音吉洋服店を開業。多くの日本人の仕立て職人が神戸に集まるようになり、卓越したデザイン技術を誇る「神戸洋服」が誕生しました。

1892(明治25年)には神戸洋服商工業組合も結成され、神戸は日本を代表するファッションの街となりました。

神戸のオーダーメイドの紳士服は「神戸洋服」として知られるようになり、着用する人の体型にぴったり合ったスーツを作り上げる仕立て職人の技術は現在にも引き継がれています。

 

靴産業

「神戸は靴のまち」とも呼ばれ、靴産業は現在でも神戸の地場産業のひとつです。

もともとは外国人居留地に住む外国人の靴を修理したり、新調したりする中で、草履や鼻緒職人が靴職人へと転業したのが神戸の靴産業が始まりました。

洋服産業と同様に熱心な靴職人が全国から神戸に集まるようになり、神戸では靴の製造が盛んになりました。

第二次世界大戦後は、ゴム不足を受けて塩化ビニールなどの合成樹脂を使用したケミカルシューズが誕生。昭和30年代には、国産ケミカルシューズの約8割が神戸で製造されていたものだったそうです。

 

パーマネント

化学反応によって髪の毛の形状を人工的に変形させるパーマネントも、日本初上陸は神戸でした。

1923年(大正12年)に三宮の紺谷寿美子氏が、パーマネントの技術と機械の普及のために来日していたアメリカのエンプレスから、パーマの技術と機械を購入したのが日本におけるパーマの始まりです。

その後、紺谷氏は三宮で「紺谷美容倶楽部」をオープン。開店当初は外国人の女性客ばかりだったものの、徐々に日本人女性の顧客も増え、神戸の女性たちの間でパーマヘアーが流行したそうです。

 

神戸のハイカラ文化②洋家具産業

神戸のハイカラ文化②洋家具産業

神戸港が開港し外国人が多く神戸に住むようになったことで、西洋風のライフスタイルを支える家具の需要が発生しました。

明治初期に船大工の真木徳介が製作所を設け、神戸に持ち込まれた外国製の家具や船舶装備品などを真似して家具の製作を始めたことが、神戸における西洋家具作りの始まりです。

神戸で生まれた洋風の家具は「神戸洋家具」と呼ばれており、設置するスペースや使う人の体形に合わせたオーダーメイドを基本としています。

美しい彫刻や装飾が施されたクラシックなデザインと耐久性の高さが特徴的で、「いいものを長く使う」という神戸らしい精神が受け継がれています。

現在でも神戸の洋家具産業はオーダーメイドにこだわっており、世代を超えて愛用できる高級家具を提供し続けています。

 

神戸のハイカラ文化③食品・洋菓子

神戸のハイカラ文化③食品・洋菓子

神戸に多くの外国人が住むようになり、西欧の食文化も神戸に伝わりました。特に「洋菓子のまち」や「紅茶のまち」として知られるように、スイーツや紅茶などの嗜好品にも神戸発祥のものが多くあります。

ここからは、神戸発祥の食品や洋菓子などをご紹介していきます。

 

ラムネ

夏の風物詩として親しまれているラムネも、日本では神戸で初めて販売されました。

スコットランド出身の薬剤師アレキサンダー・カメロン・シム氏が1870年に創業したシム商会で、1884年(明治17年)頃から日本で初めてラムネの販売を始めたそうです。

シム商会のあった場所が居留地18番地であったことから、シム商会のラムネは「18番」の愛称で親しまれていました。

「18番」のラムネはお馴染みのガラス瓶にビー玉の入った玉ラムネではなく、コルクを針金留めしたものだったとか。栓を抜く時に「ポン」と軽やかな音がしたことから、「ポン水」や「鉄砲水」とも呼ばれていたそうです。

 

バームクーヘン

しっとりとした食感と上質な甘さで人気の高いバウムクーヘンは、神戸市の老舗製菓会社「ユーハイム」の創業者でドイツ菓子職人であったカール・ユーハイム氏によって日本へもたらされたと言われています。

1919年に広島で開かれた展覧会に出品するために、ユーハイム氏が日本で初めてバウムクーヘンを焼き、それ以降、洋菓子の代表格として多くの洋菓子店で取り扱う人気の定番スイーツとなっています。

 

バレンタインチョコ

バレンタインデーは欧米で古くから祝われていますが、「女性が好きな男性へチョコレートを贈る」というバレンタインの風習は実は日本独自の文化です。

日本のバレンタインチョコ文化が普及したのは1936年(昭和11年)頃。神戸の老舗洋菓子店「モロゾフ」が、カタログで「ヴアレンタインの愛の贈物はブーケダムール スヰートハート」と謳い、ハート型のチョコレートを販売したのが始まりだと言われています。

バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈る習慣は徐々に広まり、現在も2月の風物詩となっています。

 

ソース

洋食に欠かせないソースも、神戸発祥の食べ物のひとつです。1885年(明治18年)に創業した阪神ソース株式会社は、現存する日本最古のソース会社で、神戸港町で日本初のソースを作ったとされています。

阪神ソースの創業者である安井敬七郎氏は、神戸の美味しいお肉に似合うソースを開発するために、外国人からもたらされた輸入ソースをベースに改良を重ね、果実や野菜の母液をベースに、強い香辛料を控えめにマイルドに仕上げた日本人好みのソースを作り上げました。

揚げ物にかけたり、お料理のベースや隠し味にしたりなど、ソースは現在の日本人の食文化に欠かせない調味料のひとつとなっています。

 

紅茶

神戸は「全国一の紅茶好きの街」として知られており、一世帯の紅茶の年間消費量、消費額ともに、全国トップクラスを誇っています。また、現在も神戸にはレトロな雰囲気で世界各地の紅茶を楽しめる紅茶専門店が多くあります。

外国人居留地に住む外国人から紅茶の文化が伝わり、紅茶の製造・販売を手掛ける会社が神戸に現れました。そのひとつが1925年(大正14年)創業で「神戸紅茶」の前身である「須藤信治商店」です。

創業者の須藤信治氏は紅茶の卸専門会社を創業した後、戦後にはイギリスの老舗紅茶メーカー「リプトン」から日本初の生産工場の指定を受けました。

この神戸紅茶は、日本で初めてティーバッグの機械製造をしたことでも有名で、手軽に美味しい紅茶を飲めるようになったことから、日本の庶民にも紅茶を嗜む人が増えました。

 

豚まん

外国から神戸に伝わり日本全国へと広がっていったのは、西洋の食文化だけではありません。外国人居住地には多くの華僑の料理人が中華料理店を営んでおり、神戸の街では本格的な中華料理を楽しめるようになりました。

中国の天津地方の饅頭「天津包子」を日本人好みにアレンジした豚まんは、中華料理店「老祥記」の創業者である曹松琪(そうしょうき)によって1915年(大正4年)に販売されました。

老祥記の豚まんの特徴は、日本人の口に合うシンプルな醤油味なこと。現在でも、「老祥記」の豚まんは、「一貫楼」と「四興樓」の豚まんと並ぶ「神戸の3大豚まん」として、高い人気を誇っています。

 

神戸のハイカラ文化④芸術・音楽・スポーツ

神戸のハイカラ文化④芸術・スポーツ

神戸に暮らす外国人たちは西欧の娯楽やスポーツも、神戸にもたらしました。ここからは、神戸発祥の芸術・スポーツをご紹介していきます。

映画

神戸屈指のフォトジェンニックな観光スポットであるメリケンパークには、「メリケン・シアター」と刻まれた映画記念碑があります。

この記念碑は日本で初めて外国映画が一般公開されたことを記念したもので、神戸が日本における映画発祥の地とされています。

1896年(明治29年)11月25日に、神戸の花隈の神港倶楽部で、エジソンが発明した「キネトスコープ」が一般公開されました。キネトスコープは初期の映画鑑賞装置で、箱の中でフィルムを回転させ上からのぞいて見る仕組みでした。

 

ジャズ

神戸は「日本ジャズ発祥の地」としても呼ばれています。

1923年(大正12年)にバイオリニストの井田一郎氏が、日本人として初のプロジャズバンド「ラフィング・スターズ」を結成。旧神戸オリエンタルホテルで、日本人にはまだ馴染みの薄かったジャズを演奏しました。

アメリカで人気のある大衆音楽としてジャズが徐々に広まっていき、その後ジャズ喫茶という日本独自の文化も神戸で栄えました。現在でも神戸市内にはジャズを聴けるお店がたくさんあります。

 

スポーツクラブ・サッカー・マラソン

神戸に住む外国人が余暇として楽しむさまざまなスポーツの多くも、明治時代に伝わりました。神戸で初めて本格的なスポーツクラブを創設したのは、ラムネを販売したことでも知られるシム商会のアレキサンダー・カメロン・シム氏。

最初は外国人のみが利用を許可されていましたが、現東遊園地のレクリエーショングラウンドへ移転された後は、地元の日本人も利用することができました。

クリケット、テニス、陸上競技、フットボール、サッカーなどさまざまなスポーツが行われ、神戸の人々も近代スポーツをいち早く取り入れてきました。

日本で初めてサッカーの試合が開催されたのは1872年(明治5年)、日本最初のゴルフクラブである神戸ゴルフ倶楽部が誕生したのは1903年(明治36年)、日本で最初に行われたマラソン大会は1909年(明治42年)と、今も広く親しまれている近代スポーツの多くが神戸で初めて行われました。

 

神戸のハイカラ文化⑤真珠産業

神戸のハイカラ文化⑤真珠産業

港町として栄える神戸は、世界で流通する真珠の約7割が選別・加工されている「パールシティ」としても知られています。神戸には真珠加工に携わる会社が200社以上もあり、真珠産業は神戸市の重要な地場産業にも認定されています。

神戸の真珠産業が本格的に始まったのは、真円真珠が発明され日本各地で真珠養殖場が増加した昭和初期頃からです。

神戸は三重、愛媛、四国などアコヤ真珠の生産地に近いという立地条件に恵まれ、国際貿易港を備えていることから、中央区北野町を中心に真珠の加工業や流通業が発展しました。

現在、神戸港から世界中に輸出されているのは国産真珠だけでなく、オーストラリアやタヒチなどの南洋真珠も含まれています。

 

神戸の真珠文化を体験できるおすすめスポット

パールストリート

神戸市中央区の北野町には通称「パールストリート」と呼ばれる通りがあり、約220社の真珠関連業者が集まっています。北野町に真珠加工業者が集まった理由は、北にある六甲山に反射して真珠の加工に必要な安定した光が得られるから。

パールストリートには卸業者や加工工場直営のショップも何軒かあり、品質の高いパールジュエリーが購入できます。

また、周辺にはレンガ造りのレトロな雰囲気のホテル、異国情緒あふれるモスク、おしゃれなケーキ屋、カフェなどもあるので、お天気の良い日にはぜひ散策してみてください。

なお、神戸の真珠産業については、こちらの記事で詳しく解説しています。▶︎なぜ神戸が世界一の「真珠の街」に?神戸に真珠会社が集まった歴史や地理的な理由を解説

 

パールシティ神戸(PCK)

パールシティ神戸は、真珠の街・神戸の姿を国内外にアピールしていくことを目的に、1981年に設立された非営利団体です。

神戸の真珠業者や関連業者によって構成されており、神戸でさまざまなイベントやセミナーを企画、主催しています。

神戸のお祭りで「あこや真珠の取り出し体験」や「あこや真珠取り出し&アクセサリー加工」を行ったり、「真珠のアクセサリーづくり教室」を開催したり、デパートなどで真珠アクセサリーの展示をしたりなど、神戸の真珠文化を伝える活動を行っています。

なお、次回の神戸まつりについては、こちらの記事を更新する予定です。▶︎神戸まつり2024開催概要|パールシティ神戸協議会が「真珠の取り出し体験&アクセサリー作り体験会」を出店

 

神戸のえり正「はじめての真珠講座」

神戸の呉服と真珠の専門店「えり正」では、日本真珠振興会認定の「はじめての真珠講座」を開催しています。

「はじめての真珠講座」では、多くの真珠や真珠貝のサンプルに触れながら、真珠の品質を見極める眼を養っていただくことを目的に、真珠の歴史、真珠の種類、真珠養殖のプロセスなどを解説。

買ってはいけない真珠の特徴や、コスパの良い真珠の選び方、真珠のお手入れと保管方法など、真珠の購入を検討されている方に役立つ情報をお伝えしています。

なお、真珠講座の開催情報はこちらで紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。▶︎えり正の「はじめての真珠講座」

 

神戸発祥のパールジュエリーブランド「ERIS VELINA」

神戸の真珠文化を伝えるパールジュエリーパールジュエリーを購入する際に、「どこで購入するのが良いのか?」と悩む方は多いでしょう。

デパートや百貨店、ティファニーなどの海外の有名ジュエリーブランド、ミキモトやタサキといった世界的にも評価の高い国内真珠ブランドなど、パールジュエリーを購入できる場所はいろいろありますが、おすすめなのは真珠専門店です。

真珠専門店では、プロが厳格に選び抜いた価値ある真珠が採用されており、さまざまな種類やサイズの真珠を使った品質の高いパールジュエリーを取り揃えています。

『ERIS VELINA』は、1975年に創業した神戸発祥の真珠専門店です。日本真珠振興会認定のパールシニアアドバイザーによって、美しいテリと深みのある色調を持つ優れた真珠を厳選。

国内の宝飾職人がパールペンダントや一連のパールネックレスへと仕上げ、消費者の皆様へリーズナブルな価格で上質のパールジュエリーをお届けしています。

 

ふるさと納税返礼品に神戸真珠

生まれ育ったふるさとに貢献したり、応援したい自治体を選んだりすることができる「ふるさと納税制度」。美しい海と山に囲まれた神戸市では、神戸牛や洋菓子などの地元の名産品とともに、真珠のアクセサリーもふるさと納税の返礼品として選ばれています。

『ERIS VELINA』のパールジュエリーも、神戸のふるさと納税の返礼品として選べます。寄付額8万円から30万円以上と、寄付額に応じてアコヤ真珠、白蝶真珠、黒蝶真珠、ゴールデンパールなど、幅広いデザインのパールペンダントをご用意しています。

ふるさと納税では、節税対策だけでなく「資産」になる返礼品を選びたいという方は、ぜひ検討してみてください。▶︎神戸真珠のふるさと納税

 

神戸セレクションを通じて全国の百貨店に出店

神戸セレクションは、豊かな自然環境や国際貿易都市としての歴史といった神戸の魅力を感じられる商品を公募・選定し、インターネットモールや百貨店などで販売する取り組みです。

神戸を代表する惣菜、スイーツ、真珠、バッグ、靴などを集め、全国の百貨店などで「神戸セレクション」のイベントを開催しています。

『ERIS VELINA』も、全国各地で開催されている「神戸セレクション」イベントに出店しており、神戸を代表する真珠専門店のひとつとして、神戸の真珠文化が感じられる上質で実用的なパールジュエリーをお届けしています。

百貨店への出店情報はこちらで随時更新していますので、ぜひチェックしてみてください。▶︎ERIS VELINAのイベント情報

 

神戸豚まんサミットの豚饅娘の審査員、協賛

神戸発祥のハイカラ文化のひとつとしてご紹介した「豚まん」ですが、神戸の豚饅の魅力を発信するイベントとして毎年「KOBE豚饅サミット」が開催されています。

『ERIS VELINA』は、「KOBE豚饅サミット」のハイライトでもある「KOBE豚饅娘コンテスト」に協賛しており、『ERIS VELINA』の代表である吉木が審査員を務めています。

KOBE豚饅サミットについては、こちらで紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。▶︎KOBE豚饅サミット2024|第13代豚饅娘に「アコヤ真珠 ダイヤモンド ペンダント ネックレス」贈呈

 

パールシニアアドバイザー吉木が厳選する真珠

ここからは、『ERIS VELINA』の代表でパールシニアアドバイザーである吉木がおすすめする、パールジュエリーをご紹介します。

神戸の真珠文化を伝える上質のパールジュエリーばかりなので、大切な女性へのプレゼントに、自分へのご褒美に、素敵なパールジュエリーを選びたい方は、ぜひ参考にしてください。

 

【天音】アコヤパール ダイヤモンド プラチナ ペンダント

3石のメレダイヤをあしらった逆三角形のペンダントヘッドに、柔らかな輝きを持つ無調色のアコヤ真珠を合わせたクラシックな印象のパールペンダントです。

シンプルながらも優雅な印象のペンダントで、カジュアルシーン、ビジネスシーン、フォーマルなシーンなど、幅広い場面で着用いただけます。

 

【ウルトラブルー】アコヤパール ダイヤモンド プラチナ ペンダント

無調色で深い青色をしたウルトラブルー系のアコヤ真珠を使った、神秘的な輝きが魅力のパールペンダント。真珠が成長する過程でで自然に生まれたウルトラマリンとウルトラスカイの美しい青色は、希少価値が大変高く、一粒でも存在感抜群です。

ダイヤモンドをあしらったプラチナのペンダントヘッドが、爽やかなウルトラマリンブルーの色合いを引き立て、胸元を上品に飾ってくれます。

 

【鞠】ブラックパール イエローサファイア イエローゴールド ペンダント

イエローサファイアを2石あしらったイエローゴールドのペンダントトップと、凛とした存在感のある黒蝶真珠を合わせたクラシックな印象のパールペンダントです。

しっとりと濡れたような黒蝶真珠の色合いと、イエローサファイヤとゴールドの黄金色の対比が美しく、ホワイトパールのジュエリーとは一味違ったクールなゴージャスさが感じられる逸品。夜のパーティーやビジネスシーンなど、幅広い場面で着用いただけます。

 

【澪標】ゴールデンパール ダイヤモンド イエローゴールド ペンダント

船が往来する時の目印となる澪標(みおつくし)をイメージしたダイヤモンド付きのイエローゴールドのペンダントトップに、高貴な輝きを放つゴールデンパールを合わせた、エレガントなペンダントです。

港町神戸を感じさせる上品なデザインで、胸元を華やかに装いたいお祝いのシーンに最適です。

 

神戸の真珠文化を伝えるパールジュエリーなら『ERIS VELINA』を

真珠のまち・神戸を拠点とする真珠専門ブランド『ERIS VELINA(エリスヴェリーナ)』では、冠婚葬祭に欠かせないアコヤ真珠のパールネックレスはもちろん、

  • 普段使いしやすい一粒アコヤのパールペンダント
  • 存在感のある白蝶真珠やゴールデンパールのパールペンダント
  • 神秘的な輝きが魅力の黒蝶真珠のパールネックレス など

さまざまな種類の真珠を使った上質なパールジュエリーを取り揃えています。

無調色にこだわり厳選した真珠を、国内の宝飾職人の手により丁寧に長く使い続けられるジュエリーへと加工しているため、『ERIS VELINA』のパールジュエリーは世代を超えて長く使い続けられる財産となるでしょう。

日本でいち早く西欧の文化が伝わり独自のハイカラ文化を築き上げてきた神戸には、神戸洋服や神戸洋家具に見られる「いいものを長く使う」という文化が根付いています。

母から娘へ、娘から孫娘へと、世代を超えて大切に使い続けられるパールジュエリーをお探しの方は、神戸の真珠文化を大切に受け継ぐ『ERIS VELINA』にご相談ください。

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ERIS VELINA 取扱店

「えり正神戸店」
〒651-1221
兵庫県神戸市北区緑町7-20-10

「えり正 福山店」
〒720-0822
広島県福山市川口町2丁目10-47

Open: 10:00~18:00
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